逃げても構わない
苦しかったら、厳しかったら、当面のことから思考を逸らして構わないと思う。
思考どころか環境を変えてしまって構わない。
ただ、一時的にせよ逃げるということは、今の環境や状態がツライから目をそむけるということだ。
つまり、サラリーマンが現実逃避するということは、会社から目をそむけるということだ。
気分転換だけど現実逃避
同じ旅行に出かけるのでも、「騒いで日常のいやなことを忘れる」のと「自然あふれる静かなところで今の自分を見つめなおす」のとでは意味合いが全然違う。
どちらが良い悪いという話ではない。しかし、明らかに前者は現実逃避なのである。
つまり、うつの人がそれをやると会社という現実から目をそむけているようにしか見えないわけだ。
わざわざ「現実逃避」という受け取られかたをするように会社に報告するというのは、逃避対象にされた会社はおもしろくないことは分かるだろう。
どうみえるかは意識しよう
会社への報告にあたって、そのときに何をしていたとか何を思っていたのかということは関係ない(関係ないというかそんなものは会社に伝わらない)。
旅行に出かけることによって現実逃避とみなされるのであれば、会社にとっては同じことなのである。
医者に話して「この旅行は問題ない」というプロセスを経たということであれば、会社も納得するだろう。
サラリーマンなんだからしょうがない
会社は他の有能な(?)従業員から、あなたへの対応にクレームがきたら、説明をする必要に迫られる。
そのための材料は用意しておいたほうがいい・・・のだろうが、そんなことがうつの人にできるのか甚だ疑問ではある。
会社は学校と違って、システムとして確立する時間も知見もお金も義理もないのだ。営利団体なのだ。
それを学校と間違えて主張しちゃう人を「新うつ」というのかもしれない。
ただ、それは程度問題の気はしている。医者にとって印象的だから名称が変わっているのだろう。
自分の気持ちを抑えこまずに円滑にコミュニケーションをうまくとれるのであれば、多分うつにはならないのだから、うつの人はコミュニケーションに何かしらの問題があるのだと思う。もしくは、苦手意識があるのだと思う。
サラリーマンである以上、会社からお金をもらっているわけだし、仕組みが気に入らないのであれば辞めるしかない。
裁判で戦って認めさせたりしたとしても、やはり最後は辞めるしか無いだろう。折り合いは付ける必要があるのだ。