得意なスタイルまで捨てなくていい

うつになって休職ともなると、自分のやり方の全てが間違っていたのではないかと自暴自棄になってしまうことがある。
持ち味や特徴をなくしてしまう必要はないのだ。

ツライと思ったところだけを変えればいい

スケジュールを立てたりToDoリストを作ってそれに合わせてすすめると捗るというのであれば、そのメソッドを捨てる必要はない。

ただ、スケジュールは状況によって簡単に罪悪感なく変更することができたほうがいいし、ToDoリストが消し込めなくてツライと思うのであれば、リストの作り方を見なおす必要はあるかもしれない。

フルスクラッチは現実的ではない

「なにもないところからやり直す」という気分は過去と決別したような気がして清々しい。

しかし、過去の自分あっての今の自分であり、過去の自分が全部間違っているわけではない。
むしろ間違っている部分は、自分が思うほどないはずだ。

恐らく、過去の自分を精査するのが苦痛なだけなのだと思う。
昔の自分と向き合うこと無くやり直すほうが気が楽なのだ。

どころがどっこい。そんなことをしている時間はない。
フルスクラッチは来世でやることにして、今世はいままでの持ち味を活かして改良しよう。

もちろん、フルスクラッチも悪くない。
ただ、昔の自分と向き合いたくないからという理由ではうまくいかないと思う。

基本は今のままでいい

何を根本とするかという問題はあるが、ビフォーアフターでまったく別人である必要はないはずだ。

俯いて眉間にシワを寄せてブツブツ言っていたのではダメかもしれないが、それを気にしたとしても、超明るいハッピハッピアピールとか始めたらやはり色々無理がある。
ついにおかしくなったと思われるかもしれない。

愁眉を開いてツルッとした顔で黙って座っていれば、それはそれでいいのである。
その場合、やるべきことは、ポジティブアピールではなくて、自分の不安を取り除くことだったりする。

だから、ある意味根本的なことを変えることになるのかもしれないが、そとづらの印象やらを気にして変えることはない
それは結果であって目的ではないということだ。

変えるのであればまずは自分の内面だろう。
外面を変えるのであれば、自分の気持ちの伝え方だろう。

「困っている」「ツライ」という気持ちをうまく伝えられなかったのであれば、その部分だと思う。
まわりにどう思われているかを気にしてもどうしようもない。

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