「~しさえすればよい」にご用心

何も考えずにそればかりやっていればいいなんてことは、世の中にない(こともないがほとんどない)。
きちんと判断をして、丁度良いバランスをいつも気にする必要がある。

何も考えないのは楽

頭を真っ白にしてうまくいくのであれば、みんなそれをやる。
一部の世代ではそれが通用した時期もあったので、そう主張する人も意外と多い。

「苦しくても頑張ってさえいればいつか報われる。」

そんなことがあるわけない。
世の中に必要がないものならずっとやっていても花は咲かない。
右肩上がりの経済ではないのだから、縮小する市場もあるのだ。

優先順位は変動する

「家族を必ず優先するから迷わない!」ということもあるが、本当にそれでいいのだろうか?
その「家族」がそれを知ったら怒り出すこともあるのではないだろうか?

「仕事が炎上しても家族旅行は絶対に行く」まで極端に徹底していると、家族も「親の死に目じゃあるまいし、旅行くらいずらすからさっさと仕事を片付けてから憂いない状態で旅行に行きましょうよ」と言うのではないだろうか?

少なくともそこは勝手に決めずに、話し合って調整する必要があるのではないかと思う。
優先順位「さえ」決めておけば「迷わない」かもしれないが、最善ではない

調整やバランスを見ることを嫌がるな

これは自戒が大きい。

納期ですら絶対ではないのだ。調整が効くし、調整を前提にしている場合もある。
勝手に怒りをためこんではいけない不都合があればまずは相談するのだ。

ただ、調整が苦手なら全て自分でやる必要はない

調整役をつけてもらえるように努力することもできるだろうし、自分が調整するよりは楽な努力だと思う。

これを世の中ではエージェントという。スポーツ選手についているあれだ。

中道という言葉がある。極端を離れてほどよいところをゆけということだ。
楽器の弦の張りにたとえられることもある。
「きつすぎれば切れてしまい、ゆるすぎると音が出ない。程よい加減で張ってあることが大切なのだ。」と。
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