本能の話を聞いてあげる
「いやだ」「いきたくない」「めんどうくさい」そんな言葉に代表されてしまう本能ではあるが、もう少し掘り下げてみると、自分の不安が見えてくることが多い。
これには具体例が必要だとは思うが、分かりやすいところで「会社に行きたくない」という自分がいると仮定する。
この「行きたくない」を深掘りしてみるのだ。
上司が嫌なのかもしれない。仕事の内容が退屈なのかも知れない。もしかしたら、会社の存在意義を疑っているのかもしれない。
色々あるはずだが、「これがあるからいやだ」を明確にしておくと理性との調整がしやすい。
理性の主張の真意を知る
「社会人として」「大人として」と色々あろうが、社会で生きていく上で今の状況での自分の行動を規定している自分が、理性の自分というところだろうか。
とにかく社会の荒波を乗り越えるための常識を強制してくるのだが、これがやたらと強い。
なぜかというと、親や先生の代わりに存在しているからだ。
夢も希望もあったものではない。
先ほどの具体例をひくと「ちゃんと会社にいって給料に見合う仕事をして安定した生活を送らなくてはいけない」といったところだ。
わがままは消してはいけない
この「本能」としてとりあげた欲求のことを「わがまま」ということがある。
実はこのわがままこそが、本当にやりたいことを表しているといえる。
だから、わがままの声こそちゃんと理解すべきなのだ。
うつになるぐらいなのだから、わがままをわがままとして追いやってしまっていたはずだ。
こんな気持ちが起きてくるなんて、社会人としてまだまだと思っていたかもしれない。
しかし、わがままは本当の気持ちなのだ。
消してしまっては苦しいに決まっている。
人との調整の前に自分の調整
しっかりとした社会常識が理性というのであれば、あなたは理性があるゆえに苦しんでいるに違いない。
そして、その理性は、回りの空気を読んだものであると思う。
つまり、自分のやりたいことややってほしくないことを回りの人と調整する前に、自分の中で「こういう風につっこまれるだろうなぁ」を解消しておく必要があるということだ。
あなたが天才肌でわがままを通す人なのであれば、そもそもこんな記事を見てはいないはずだ。
そして、そんな繊細なあなたは、そんな天才を羨ましいとは思えど、そういう風に振る舞えるとは思ってはいないことだろう。
だからまず、自分の気持ちに決着をつけておくべきなのだ。