納得できなければ意味が無い
理屈は分かっても納得してないければ、ポジティブシンキングといえども深層意識は受け入れてくれない。
たとえば「生きているだけでもありがたいし、世の中には目の見えない人だって」云々・・・といわれたり、自分でそう考えようとしても、「いや目の見えない人と比べてもそんなの知らんし、意味ないし、そもそも生きてるから苦しいんだし。」なんて思っていたのでは、その乖離に逆に苦しんでしまう。
納得できるように工夫する
工夫の仕方は色々あるので、この後に提案をしていく。
基本的には、自分の身近に感じるような体験をしているときに、ポジティブシンキングを使うと良い。
そして、これから提案する工夫とは「自分の身近に感じるような体験」を意図的に起こそうというものだ。
おいしいものを集中して食べる
食べるというのは意図的に設定できるいい機会だ。
食事として立派なものでなくとも、一片のケーキでもいいし、一包のお菓子でもいい。
とにかく気をつけて欲しいのは、ネットを見ながらとかテレビを見ながらではなく、その食べる行為に集中するということだ。まるでグルメ番組の出演者になったかのように、必ず感想やリアクションを求められると思って食べて欲しい。
別に、食べているものがすごくおいしいものでなくてはいけないわけではない。
そうやってそれなりにおいしいものを食べながら「こうやって道楽として食をたのしむことができるというのは、実はすごく幸せなことなんだよね」とポジティブシンキングをすると・・・どうだろうか?納得感があるのではないだろうか?
自分に感覚があるものは、納得しやすいのだ。
ドキュメンタリーを見る
これはちょっと高度な方法なので気をつけて欲しい。
ドキュメンタリーはドラマチックな演出がないと視聴者を惹きつけられないので、主体となる物事や人物に浮き沈みが必ずある。また、不幸体験のほうが印象に残りやすいので、トーンが暗くなることが多い。
そのため、うつ真っ最中にそんな冒険はしないほうがいい。
ここでのポイントは、幸福体験にフォーカスをあてるのではなく、そんな不幸体験が現実として存在しているというインパクトを利用することにある。
日本という国に生まれ育ってきたら、得られて当然という水準が人類全体から見たら高すぎるということを意識しないのが普通だと思う。貧困をテーマにしたドキュメンタリーであれば、そのことを視覚と聴覚によって意識できるだろう。
また、成功への道を追ったドキュメンタリーであっても、絶対に順風満帆なストーリーであるわけがないので、苦労とか失敗とかそういうのが印象的な感じに演出されているはずである。
ここでポジティブシンキングを発動させるのだ。
逆にいえば、ここでポジティブシンキングを発動できないのであれば、嫌なイメージが残ってしまうので、少なくともツライ感じのドキュメンタリーは見ないほうがいいと思う。
「あんな貧困な状況で頑張っている幼子がいるのに自分ときたら」なんて思ってはいけない。
「あんな状況でもこんな子どもがこんな素敵な笑顔を見せられるのなら・・・」と思えなくてはいけない。
結局のところ、「ドキュメンタリーを見たかったらポジティブシンキングで見よう」という逆の話になってしまった。
つまりこういうこと
五感で素晴らしさを味わっているときに、ポジティブシンキングでその幸せを拡張してあげればいいのだ。
エロビデオでも好きなアニメでも、もちろんBL小説でもいいが、そんなの自由に安価に楽しめて、それも一生かかっても制覇できないくらいあるというのは、多分、日本だけだと思う。
そのときに「こういう状況(たとえばウツとか無職とか)であってもこんな楽しみを味わえるなんて本当に幸せなことなんだ」と言い聞かせるのは、深層意識も否定しないと思うのだ。
味覚や聴覚視覚に偏ってしまっているが、ほわほわふわふわのクッションとかぬいぐるみを触っているときにポジティブシンキングを発動してもいいし、お風呂に入っているときには触覚に加えて嗅覚を使ってもいいだろう。あるいはすべての動作で五感を意識するようにしてもいいと思う。