「助けたくなる人」ではなく「応援したくなる人」になる

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応援をしたくなる人というのは、自分よりも大変そうな境遇で、前向きで真摯な感じがするのではないだろうか。少なくとも、お情けを求めている人を助けたいとは思っても、応援したいとは思わないだろう。

前向きとは

前向きというのは、将来を見据えているというだけでなく、明るいイメージがある。ただそれは、ポジティブというよりも、確固たる意志を持っているというほうがしっくりくる。

「自分を知っていて、自分が行きたい方向を知っている。」

そういうのが前向きというものだろう。

真摯な感じとは

単に真面目というのとは違う。
もちろん、真面目ではあるが、自分を大きく見せようとしたり、卑屈になったりしない。
また、一生懸命ではあるが、鬼の形相の必死さとは違う。

素直で周りも見えている感じがするのではないだろうか。

自己憐憫は吸い取る

自己憐憫に浸っている人は、優しさに飢えているので、そばにいるだけでエネルギーが吸い取られそうな感じを受けるのではないだろうか。
ポジティブな言葉を投げかけても元気になるどころか、逆にこちらが引っ張りこまれてしまいそうな気がしてしまうからだろう。

その自己憐憫に浸っている人が近づいてきたらどうだろうか。

それはまるで、慰めの言葉を周りに求め、それを無尽蔵に消費していくように見えるだろう。消費していくのは慰めの言葉ではなく、親切や同情だったりするかもしれない。

助けを求める

お情けを求めるのと助けを求めるのとでは随分違う。

自分の足りない部分を把握して、人にやってもらう部分も明確にした状態で求める助けというのは、要請や依頼であり、卑屈になるようなことではない。

リハビリで頑張るべきは、与えられたものをこなすことではなく、応援してもらえる精神状態を保つことである。できないことを認めなくてはいけないし、卑屈になってもいけない。だからリハビリが一番つらいのだ。

リハビリはつらい

できないことはダメなこととは思わず、助けてもらったら謝るのではなく、感謝の言葉を伝える。それができないと「なんだこいつ」と言われかねないのである。

リハビリ出社の勤務時間は、仕事が頑張れる時間ではなくて、他の人に手伝ってもらったときの対応がきちんとできる長さを考えて調整するといいと思う。

多分、一番最初は1回でも手伝ってもらったら厳しい状態になると思うが、やはり健気ではないとまわりは嫌な気分になるものである。本当にリハビリはつらい。

前向きで真摯であるならば、助けてもらいたい部分を明確にしたほうが、人は助けようとするものだ。なぜならそれをすれば確実に感謝されることがわかるからだ。しかし、同情をかおうすると周りから背中を押して貰うのではなく、あなたが周りを引きずり込むようになってしまい、みんなが離れていく。
苦境に陥って助けてもらうにしても、「助けてもらえる人」よりも「応援してもらえる人」の気分を持ち続けていきたいものである。
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