うつは習慣化した通勤を壊すくらいにはどえらいヤツ

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長らくうつを患っている人は忘れてしまっているのかもしれないが、通勤というのは習慣化された行動である。何も考えずにとれる行動に支障が出るということは、相当なものなのだ。

リハビリ時に通勤にフォーカスするのは無駄

通勤ができないから問題として露呈をしているだけで、通勤自体が問題ではないことに注意したい。

遅刻せずに通勤さえできれば、多少パフォーマンスが落ちていたとしても、怒られることも責められることもないから、どうにかして楽に通勤をしようと考えるかもしれないが、それは見当違いである。

たとえるならば、朝の歯磨きを習慣にしていた人が突然歯磨きが苦痛になったので、歯磨き粉をバナナ味にかえたりして、なんとか楽しく歯を磨こうとしているようなものである。親知らずに大きな穴が開いていることが歯磨きができない原因なら、歯の治療をすることが解決策になるのである。

いままでの仕事の捉え方に問題がある

もちろん、全員にあてはまることではない。
しかしながら「そんなことはない!」と意固地になる人ほど、仕事の捉え方に問題がある可能性が高い

通勤という習慣化された行動がキャンセルされるほどの要因が、通勤した先にあるのは明白である。これは「勤務先がブラックである」とか「嫌がらせを受けている」ということを表してはいない。
もしそうならば、職場を変えたほうがいいのではないかと思うし、そもそも「そんなことはない!」と意固地になったりはしないだろう。

つまり「仕事をする環境」ではなく、「仕事に対する考え方」に問題があるのである。

仕事は勉強ではない

仕事というものは、こなすこと自体に意味は無い。価値を創造するのが仕事であって、チェックリストの上から下までを完璧にやってもそれは仕事をしたとはいえない。

逆にいえば、価値が生み出せるのであれば、「決められたこと」を完璧にやる必要はない
できないことがあっても、できる人にアサインして、その人にやってもらえれば全く問題ないのである。

自分のキャパシティ以上の仕事を抱えているのであれば、適切なキャパシティで回すほうが価値があるはずである。「まわりもキャパシティオーバーだから自分もやらなくてはいけない」というのは理由にならない。この場合、キャパシティを超えていてもそれは全部自分がやらなくてはいけないと思っていることが問題なのかもしれない。

「忙しい」と「うつ」は関係がない

キャパシティオーバーというのがうつの原因なら、少なくとも今の自分には関係がないと思うかもしれないが、「キャパシティオーバー」というのは単なる状況である。心のあり方と関係がない。

仕事に対する考え方が問題なのである。

もしかしたら、暇すぎて「私は何も価値を生み出してない」と感じているのが問題なのかもしれない。いずれにしても、ここには答えはない。答えは自分の中にある

「いやだなぁ」と感じていることをしっかりほじくりだして、それを嫌に感じないように捉え方を変えたり、「いやだなぁ」と思うことしなくても済むように調整する必要があるのだ。

リハビリ期は傷口の奥にある異物を取り除くような苦痛がともなう。自分の弱っている部分に自分の手を突っ込んでいかなくてはいけないのだ。
でも、苦しいだけではない。肩の荷を下ろしていく作業でもあるので、どんどん身軽になっていくと「ああ、こういうことなんだ・・・」と希望の光が見えてくる。
注意したいのは、人との調整をしていく中で一進一退を繰り返していくものなので、一発逆転のような調子の良いことはないということだ。
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