確かに怒ることが楽しい人はいないが、上司という立場上しょうがなく言っているわけではないことも多々ある。だからといって、それをもって上司を責めようというのではない。自分を必要以上に責めないことが大切なのだ。
説教ではなくお小言のときがある
説教というのは、その本来の意味をくめば、教えを説くということであり、教導するということである。つまり、頭に血が上った状態でできることではない。
たとえば上司が「新卒じゃあるまいし、なんでこんなこともできないんだ。いや、新卒だってこんなことはしないよ。お前は新卒以下なのか?ちょっと考えれば分かることだろう?」と言ったとする。
これは、ただ単に自分の不快感を表しているだけだ。「どこがどういけないのか」も「なにをどうすればいいのか」も伝えてない。
こういうのをお小言という。
恐らく、その人の立場が上司ではなく同僚であってもそういうふうに思うだろう。上司だから言っても許されるだけなのだ。
文句を言いたいから言っている
そのお小言は、言いたいはずである。上司は不快感を感じていることをあなたに伝えたいのだ。
「言いたくない」というのは、「不快感を感じたくない」というだけのことである。
もっといってしまえば、上司という立場を利用して不快感をむき出しにしているとも言える。
もちろんしょうがなく言うこともある
例えば、「お給料に見合った成果が出せていない状況が長らく続いていて、この先、回復する兆しが見えないという話が部長会でもでているので、このままでは辞めてもらうこともある。」というのは、これは立場上、言わざるを得ないことだろう。
だから、「俺だって」というフレーズに過剰に反応してはいけない。文句が言いたいだけでもないのである。
なんといっても上司は生殺与奪を握っているのである。直接辞めさせることはできなくとも、部下の状況は報告する義務があるのだ。あなたのことを快く思っていなければ、会社にとってふさわしくない人材であるという報告をあげるようになるのは必至だろう。
上司はカウンセラーではないし会社は営利団体
上司はカウンセラーではないし会社は営利団体なのは、幾分気持ちに余裕のある普通の人の「当たり前」だ。
ウツ状態になっていると状況が見えなくなることが多い・・・というかいつもそうだ。そしていつも不安を感じている。
実は不安と怒りは表裏一体のものである。なぜなら、余裕が無いため、不当に権利を侵害されたと感じると噛みつかなくては生命が脅かされると感じてしまうからだ。
話を戻そう。
会社も上司もあなたがウツ状態であるかどうかは、ぶっちゃけどうでもいいのである。あなたが会社にとって有益がどうかが重要なのだ。
会社に体力があれば長い目で見ることもできる。しかし会社の業績が低空飛行を続けている場合は、今日明日の資金繰りが会社の死活問題となることもある。
お給料という面で見た場合、あなたはやはり歯車であることは、サラリーマンとして逃れられない宿命なのだ。そういう根っこは忘れないで立ちまわったほうが、結果的に幸せになれるような気がする。
与えなきゃもらえない
結局、権利を主張していてばかりではいけないのである。僻みも根っこでは同じことだ。
リハビリ期であっても、自分を雇っていることのメリットを会社に感じてもらわなければ、会社が社会的な義務を果たしたことをステークホルダーに証明できるようになったら、あっさりと切りにかかってくるだろう。
それは上司にしてもそうで、部下を使って利益を上げなくては、管理職としての能力を問われるわけである。
だから上司は言いたくないことも言うし、利益に貢献していない部下に対しては不満を言いたくもなる。だってにんげんだものというわけだ。
卑屈になることもないが、猶予があることには感謝をしよう。猶予がなかったとしたらそれはそれで会社も苦しいのだと諦めよう。
結局
私は運が良かっただけのことである。会社に包容力があり、社会的な義務を果たさなくてはいけない規模でもあった。
上司は上司なりに理を尽くしていたことが私には伝わったし、上司が年下であったこともあり、彼が私に話すときはほとんど敬語だった。
今や千人を超える正社員を抱える弊社の私の社員番号は2桁で、上司は私よりも1年程度早い入社だ。会社の歴史を知っているし、その中でやってきた私の実績にも理解がある。
だから、私は本当に運が良かっただけなのだ。それ故にアドバイスをするという立場に無いのかもしれない。
ただ、ウツを克服して休職をした同じ会社で昇給のテーブルに載っているという人間の感触として、なにか伝えられるものがあるのではないかと思っている。
皆様のご検討を切に願う。