休日に用もないのに外出する必要はない

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私のうつが寛解してしばらく経つが、休日に外に出るのは非常に億劫である。アウトドアが苦手なのではなく、ひとごみを見るだけでも疲れてしまうからだ。

平日の疲れは休日にとる

意識の高い話であれば「平日の疲れを休日に残すなんて!」と言い出しそうではあるが、知ったことではない。まずは、平日の仕事をそつなくこなすために、休日で回復させることだ。

そもそも、今の仕事をしていてウツになったのならば、平日のその仕事が楽しくてしょうがないというわけでもないのだろう。

平日の疲れを休日にとるというのは、何も悪いことでもなければ、改善すべき状況でもない。

新しい自分を目指さない

「新しい自分」の「新しい」という感じがあまりよくない。今の自分を否定しているニュアンスを感じてしまう。

今の自分は脱ぎ捨てるものではなく、確固たる土台としてしっかり踏みしめるものだ。

そんな、脚立の上でつま先立ちするような生き方は、危なっかしい。何より焦るばかりで、つまらないだろう。

もしかして、ウツと診断された頃と同じように生きていないだろうか?

内向型と外向型

簡単に言えば、内向型は狭く深く、外向型は広く浅く。もちろん、二種類に分けられるものではないし、同じ人でも状況によって傾向は変わるだろう。

ただ、どーっと情報が押し寄せてきたときに、一つ一つ丁寧に対処しようとしてオーバーフローしてしまう人と、色んな情報を目移りさせながら楽しんでしまう人という具合には、ゆるく分けられるだろう。

当然、前者が内向型で後者が外向型である。

外向型を目指していないか?

「休日に外出してエネルギッシュに休暇を楽しむべきだと思うけれども、どうしてもそうできない。」と考えている人は、内向型なのに外向型になろうとしているのではないだろうか?

どうやら、外向型の人は、人のたくさんいるところで元気になるという。

私はかなりの度合いで内向型なので、これはまったく信じられないことであったのだが、「スポーツバーでお酒を飲みながら試合を観戦して騒ぐ」ということで充電できたりするらしいのだ。

もちろん、楽しいだろうとは想像できる。でも私だったらその後ぐったりだ。

人によって充電方法が違う

大勢の人と騒いで気持ちが充電できる人もいれば、すり減ってクタクタになってしまう人もいる。楽しいかどうかはこの際別の問題だ。

自分なりの充電方法があってしかるべきなのである。

最後に

自分のエネルギー量を把握して、必要なときに必要なエネルギーをあてられるようになれば、うまくコントロールできているという感じがするだろう。自分の人生を生きているという気がするというものだ。

この気持ちのエネルギーはお金と考え方が似ているのかもしれない。

ないものを出そうとして借金をするとツケが払えなくなってしまうということだ。

常備菜をストックするという休日も、インドアながらなかなかアクティブな休日だと思うがいかがだろうか?私のお気に入りの休日の過ごし方のひとつだ。

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