運動嫌いが忘れがちな「カロリーを捨てる運動」をする前にやること

「運動を押し付けるな」と恐らく鬼の形相でキーボードを打鍵しているであろうウツな人をネット上で見ることがある。

「ガタガタ言わずにまずは運動をすることだ」と言われたのか、もしくはその文章を見てなにやら直接言われたような気がして憤慨しているのか、状況は全くわからないが、とにかく運動が嫌いなようだ。

あるいは、食わず嫌いはいけないと思ったのか、とにかく運動を始めてはみたものの、やり方が間違っていて、それを運動のせいにしてぼやいている人もネット上で見かける。

彼らは運動を誤解しているのだと思う。

運動はいいものだ

体にいい運動は、やらされるものでもなければ、きついものでもない。罰ゲームではないし、苦しさの分だけ恩恵が得られるものでもない

運動を続けていても癌になる人はいるし、言い方が難しいが頭の悪い人もいる。スポーツマンにも感じが悪くてネガティブ全開の人はいる。

ただ、運動は「効いてないように見える」ことはあるかもしれないが、悪い習慣ではないことは確かだ。自分の状態をチェックしながら、体を動かすことが悪いわけがない。ヒトはいろいろな動作をして食料を得て安全を確保してきたのだから、その動作なしで食料を得て安全を確保してる状態にこそ弊害があると考えられはしないだろうか。

家事だって運動

その「食料を得て安全を確保する自宅での作業」のことを家事という

炊事・掃除・洗濯、それなりの運動量である。筋力も使う。頭だって使う。そして現代であっても生存に必要な行動である。

これをふまえ、もし「使い捨て容器の弁当を食べ、冷蔵庫に入っているのはお茶とビールとアイスだけ。その部屋の真ん中でゴミをよけつつ腕立て伏せを5回もやろうものなら、息が上がるし腕も痛い。」という状況で運動を否定している人がいれば、賢明な読者のみなさんならこう思うだろう。「腕立て伏せをする前にやることがあるだろう」と。

「料理をしよう」という話をしているわけではない。もちろん、料理ができるに越したことはない。ただ、カロリーをただ捨てに行くような「運動」をする前に、やることがあるだろうという話である。

家事をしよう

「運動がしたいからする」のであれば、家事より優先するのもしょうがないといえるが、嫌々やる自分にとってつまらない運動を家事より優先すべきではないのである。それならば嫌々家事をやったほうがいい。生きるための動作は生きるための気力を与えてくれるものでもあるのだ。

以下のような話は耳タコかもしれない。

会社の帰りにひと駅分歩くにしても、その行動自体に楽しみがなく、家に帰ってノルマを成し遂げたことでちょっとした満足感が得られたとしても、これでは続かない。続ける努力をするのであれば、自分の心に発破をかけるのではなく、楽しくなる工夫をすることだ。

もちろん、これもいいだろう。でも、楽しみになるまでのあいだ、嫌々運動をするくらいなら、まずは先に家事をしよう。

嫌々やるということは気持ちが削られて疲れるものだ。それなら家事のほうが目に見えた成果が出るのだから精神衛生上良い。

料理なら失敗もあるだろうから、料理上手でないのならば掃除洗濯に注力しよう。

最後に

ウツの症状に悩まされているのであれば、いわゆる汗を流すような運動を始める前に、やることがある。

掃除洗濯を丁寧にしっかりやれば運動にもなるし、嫌々始めても最終的には気分が良くなる可能性が非常に高い。

無理をせずに、自分の身の丈にあった生活行動をとって寛解を目指そう。

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