やらされるのではなく選択する

同じことをやるにしても、言われてやるのと自らすすんでやるのとでは大違いである。やることが同じなのだから、体に与える影響が同じかといえば、全然違うことを私たちは経験上知っている。

宿題をやろうとしたところ、親から「宿題をやりなさい」といわれてやる気が無くなったという話は、今も昔もよく聞く。「いまからやろうと思っていたのに!」というやつだ。

やらされるのとすすんでやるのとでは、体内の反応としていかに異なるのかは、その筋の本を読んでいただくとして、ポイントとなるのは、自発的に選んでいったほうが疲れないということである。

ウツになるとすぐにヘトヘトになってしまう。

ヘトヘトになるのは、頭の中が不安でいっぱいになっていて、あちこちからアラートがずっと上がっている状態だからであるという。海馬が縮み上がり、悪い記憶ばかりが残り(幸せな記憶は生命維持に重要な記憶ではないので残されにくいのだとか)、更に不安は大きくなる。

こうなってしまうと、もう何もしたくなくなる。

刺激を受けたくないので、外に出たくないし、「話すなんてもってのほか」と感じるだろう。とにかく、布団に潜り込んでいたいわけだが、潜り込んだところで安心感が得られるわけではなく、そうするよりほかないといった感じだろう。

そこで「選択する」のである。

客観的に見れば、何も変わらないかもしれないし、ただの詭弁と思うかもしれないが、これは重大な選択なのである。

「休職することを選択し、朝起きずにとにかく眠りたいだけ眠る。“なにかをしなくてはいけない”と感じるようになるまで、とにかく眠る。」

そういう選択であっても良い。

医者に言われたからやっているのではなく、医者の話を聞いて納得してそうするのがいいと判断したからそのとおりにしているし、仕事ができないからしょうがなく寝ているのではなく、再び仕事ができるようになるための方法として寝るという選択をしたのである。

これを「気持ちの問題」と軽く流せるだろうか?詭弁だと思うだろうか?

ウツになったのなら、気持ちの問題は大問題であることを知っていることだろう。

嫌いなものを好きになることはなかなかできないし、絶望の淵に沈んでいたとしても愛を囁かれたら、胸のうちに温かいものがこみ上げてくるだろう。

はじめは行動を変える必要はない。自分で選んでやっていると思うことからはじめよう。私もカウンセラーに言われてそこからはじめた。

行動することで気持ちがついてくることもあるが、動けないときは気持ちから変えてみよう。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

水蕗をフォローする

スポンサーリンク

コメントを残す