ToDoリストをこなせなくてめげたときにやってほしいこと

ある程度休養をとって、なんとか動けるようになってくると、私はどうしてもToDoリストをうず高く積んでしまいます

しかしながら、思ったようにこなせず、チェックがつかない項目が並ぶことになって、なにやら罪悪感が生まれてきます。別に絶対に今日やらなくてはいけないことではないのに、チェックがつかないことで無駄に疲れてしまうのです。

これは、いつでもどんなときでもToDoリストを作るのが悪いという話ではありません

ToDoリストは、やるべきこととやったことが可視化できる便利なツールです。そして、このToDoリストは飽くまでツールです。うまく使いましょう。そういうことです。

ではなぜ、ToDoリストがうまく使えないのでしょう。

それは、そのToDoリストが自分の今のパフォーマンスを上回る設定になっているからです。集中力や体力がないのに、いままでのマイナスを取り戻そうと、理想を追い求めてしまっているのかもしれません。

それならば、どうしたらいいのでしょう。もちろん、リストを作ることは悪くありません。

まず、ToDoリストとして作っていたものを、「やりたいことリスト」とします。とにかく、思いや希望をのせて構いません。「これができたら最高だよね。」みたいなことを吐き出しましょう。(まちがっても、できることリストにしないでください。今の自分ができることが分かっていないので、自分にあったToDoリストが作れていないのです。)

そのあと、スケジュールに落とし込みます。10分単位で入れていきます。私の場合はGoogleカレンダーを週単位の表示にして、こんな風に入れていきます。

休憩を考慮して、優先順位も考慮して、あとは順番も考慮しましょう。同じようなことを続けないように、PCを触ったら、今度は家事をするというような感じです。また、同じPCを触ることでも、事務作業の次にはクリエイティブなことをやるようにします。

とにかく、一度、スケジュールを決めていくのです。もちろん、途中で変えても構いません。

そうすることで、自分の能力や嗜好が見えてくるようになります。

例えば「一気に90分間、同じ作業をすると次の作業をする気力がなくなるな」とか、「事務は連続してできないけど、クリエイティブな作業はもっと時間がほしいな」という具合に、数値で見えてきます。

これは、一発でうまくいくことはないのですが、慣れてくれば(回復してくれば)、リストを作るときに割と正確に工数が見積もれるようになってきます。

つまり、未来永劫スケジュールに落とし込む必要はないのです。そのうち、このあたりの工数がToDoリストを作るときに読めるようになってくるのです。

いままで普通にできていたはずのことが今はできなくても、少し分解してあげれば、低レベルながらもできるようになります。これが、自分を知る、一つの手がかりとなります。

今は、「ウツ」ということで突然退化した自分の能力に驚いているかも知れませんが、じわりとくる老化に対しても同じようなことで対応できるのではないかと考えています。

そういうネガティブなところだけでなく、「一発でうまく見積もれるあの人の思考を分解してその思考をトレースして、訓練すれば、同じように一発で見積もれるのではないか」という考え方もできるかと思います。

もしかしたら、それを文章化して後から続く人の教材にできるかもしれません。

こういうのは、意外と、チャンスなんです。なぜなら、自分ができていることを分解して客観的に説明できるようにする機会なんて滅多にないからです。(しかも、うまくすれば身体的な後遺症は残りません。)

天才や秀才ではなくとも、こういう体験に真正面から取り組むことで、秀才を育てることのできる良い先生になれる可能性があると思っています。

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