鬱の人に向かっていってしまう言葉の代表例として「それって気持ちの問題でしょ?」というのがある。
きっといいたいことは違う
気持ちを変えるのは簡単だと言いたげな物言いであるが、実際のところどうなのだろうか?
例えば、あなたの大好きな人が耳元で囁くのと、あなたの大嫌いな人が耳元で囁くのでは、受け取り方が天と地の差だろう。それを気持ちの問題と断じて、大嫌いな人を好きになることができるだろうか?
嫌いな食べ物を簡単に好きになれるだろうか?嫌いな仕事を好きになれるだろうか?
ただ、その理論をもって「それって気持ちの問題でしょ?」という人を論破しても意味がない。
その人は、気持ちの問題であることが言いたいのではなく、自分ではこともなげにできることに対して大騒ぎをしているように見えるので、見下して皮肉を言いたいだけなのである。
つまり、悪口のたぐいなので、まともに取り合わないほうが良いということだ。
無視できない状況もある
これが利害関係がある人、例えば上司だとやっかいなことになる。
下手すると「この程度のことは簡単なことである」ということをあなたに認めさせて、勤怠の数字に目標値を設けて、それをコミットさせようとする。
私もやられた口ではある。
ただ、会社を辞めてもらうための一つの目安にするというという側面は否定できないものの、上司も雇われている身であるため、腕をこまねいて見ていただけという評価を受けないように必死でもあるのだ。
私たちに生活があるように、管理職にも生活がある。当然ながら管理職も部下の働きによって評価を受けることになる。
文句を撒き散らしたいだけの人と上層部の圧力がかかっていて対応に苦慮している人を見分けることは、普通の状態ならいざしらず、鬱の状態だとほぼ無理だと思う。
ただ、ここは好意的にとっておくことにして、カウンセラーに相談をしてみよう。
カウンセリングを活用すべし
医者が往診で話をしっかり聞くことはまれだが、カウンセリングでお金をとっているところはしっかり相談に乗ってもらえるので、そういう病院にかかることをおすすめする。
カウンセラーは、会社の進退を含めて、どうしたいのかをしつこく聞いてくるだろう。
「この仕事がつらいのであれば辞めて構わない」という話があり、それでもこの仕事を続ける理由を聞かれる。
なんだか嫌がらせのように感じるかもしれないが、この手順を踏むことによって「こういう状況に追い込まれている」という感覚から「数ある選択肢から状況を鑑みて自分で選び取っている」という意識を持つことを目的としているものだ。
こうすることによって、ちょっと厳しい条件をコミットさせようとする上司に対して、医療の専門家の視点からのあなたにあった進捗予定表のようなものを提案できるかもしれない。
このようにして、カウンセラーと相談をして、会社と折衝をしながらリハビリを重ねることで、コミュニケーションの中で自分のできることできないことを表現するということがどういうことなのかを知ることができる。
これにより、気持ちが変わっていくことはあるだろう。
最後に
この作業はかなりハードワークではあるが、着実に踏みしめている感じがあり、充実感がある。ただし、決して楽しいものではない。はっきり言えば休職中よりもつらい。
確かに気持ちの問題ではある。そして、それが解決したときに寛解状態が待っている。
この自分のリハビリのための折衝だけは辛抱強く諦めずに頑張って欲しい。