ToDoリストはゴールではない
「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という本がある。しかし、やろうと思ってリストを作ったら、それは「やらなくてはいけないこと」になる。リストを作った動機と関係なく、それを消しこんでいくという行為により、課題となる。
課題が悪いということではない。
何かをなすには継続的に実行していくことが必要だし、素振りのように、そのもの自体には楽しみが伴わない行動も必要となってくるだろう。
何かを達成するために決めた項目ではあるが、その項目にチェックを入れていくことは目的ではない。「何かを達成するために決めた項目」であるならば、全てチェックが入っていけば達成できるではないかと思うかもしれないが、それは違う。
ToDoリストは不完全であり、手探りでとりあえず決めたものでしか無い。
もちろん、消しこんでいくことに意味があるToDoリストではあるが、その項目が妥当かどうかは常に検証する必要があるのだ。何も見えていない自分が、とりあえず用意した項目にチェックを入れることに、執着しすぎてはいけない。
満足してはいけない
「毎日やることリスト」のようなToDoリストは一過性のものである。1回クリアしたらもう出てこないという類いのものではない。毎日継続し、さらには毎日継続することが当たり前になるところまでがワンセットである。
仕事のToDoリストの場合は、全体から見ての進捗率が問題なので、そのチェックが目安にはなるが重要さはあまりない。それに、仕事は1つではない。働いている限り仕事はある。
だからといって「満ち足りた気持ちを捨てて引き締めなくてはいけない」といいたいわけでない。単なる通過地点で満足してしまったそのマインドセットに注目したほうがいいという話だ。
配分を間違えている可能性
満足感が高いのは、設定された目標をギリギリクリアできたときではないかと思う。つまり、今日やりきった項目はなかなかハードルが高かったことにならないだろうか?
今日のペースを明日も明後日も続けていけるのだろうか?今日頑張ったことで、ちょっと疲れてきたときに「頑張ったからなぁ」というふうに思わないだろうか?
運動をし始めたときによくやる失敗は、最初に頑張りすぎてしまうことである。配分を間違えて、練習が終わっても体力が有り余っているということはまず無い。初心者にとって、自分の体力は思っているよりも無いものである。
やりきらない
満足感を得てしまうと次へのモチベーションが心配だ。本当はやりきっていないのに、やりきったと錯覚させるようなToDoリストは作らないほうがいいのかもしれない。
例えば「毎日やることリスト」はできて当たり前だと思えるものにしたほうがいいだろう。
正確には、リストをやりきって構わないが、やりきったという達成感は控えめにしたほうがいいということだ。
こどもに課題ができたらシールを貼っていく形式は、短期的には効果を発揮するが、最後にはシールをもらうことが目的になってしまう。同じことを自分にやってはいないだろうか。「やりきった」という餌を吊るして走るのはリスクが大きい。
足ることを知る
ここまでのことをやると「もうちょっと」みたいな寸止め状態にして飢餓感を煽るのがいいように思ってしまうかもしれない。
「もうちょっと」という状態にしておくのはそのとおりだが、飢餓感は違う。
「もうちょっと」と思う程度が実は適切な強度であって、「これでちょうどいいのだ」と思ってほしい。腹八分目の気持ちである。
がっつかず、力まず、身軽な気持ちがいいのである。アドレナリン全開のような状態は、気をつけたほうがいい。
思わずやりきってしまったら、次の日は休みにして調整するのもいいだろう。休まざるを得ない状態よりも、休みを予め選択した状態のほうが、心身ともに健康でいられるというものだ。