規則正しい生活とは何なのか?

「規則正しい生活をしよう」と言われたり言ったりします。いや、言うことはないですかね。言われてばかりいます。

ではこの「規則正しい生活」とは何なのでしょうか?

決まった時間に起きて、決まった時間にご飯を食べて、決まった時間に仕事に行って、決まった時間に寝る・・・ということでしょうか?

では決まった時間に仕事がない場合は、「規則正しい生活」はできるのでしょうか?できたとして、それは良いことなのでしょうか?

そもそもこの「規則」とはなんなのでしょうか?「正しい」と言われると無条件に同意すべきことだと思われがちですが、「規則」自体が曖昧で、発言者のルールである可能性もあります。

夜勤があるような仕事の場合は、そもそも「規則正しい生活」を仕事継続可能な具体的な例を提示して欲しいと思うはずです。

私としては「規則正しくない生活は悪なのか?」という疑問もあります。「規則正しい生活をしよう」と声高に叫ぶことで正義を実行しているという悦に入っているだけで、解決をゴールとしていないようにも見えるときがあります(発言者によります)。

例えば、スキーに行くとき、登山に行くとき、マラソン大会に出場するとき、当日の朝は非常に早く起きます。朝ごはんをあまり食べない人もこのときばかりは割としっかりエネルギーを溜め込みます。

さらに、お昼ごはんは運動しながらなので割と軽めに済ませます。そもそも一食として食べなかったりします。そして、ひとしきりイベントが終わって落ち着いたら、多少早くてもご飯をいただきます。こういう日はさっさと寝てしまいます。

こういったケースにおいて、「規則正しい生活をしなさい」という人はいません(少なくとも賛同は得られにくいです)。非日常だからと申し開く人もいるでしょうが、それであれば鬱のリハビリ中も非日常です。

結果的にその「規則正しい生活」とやらになることもありましょうが、それは一つの指針であって、それ自体になにか大きな意味があるのかといえば、そんなことはないのです。

こういったことは、医療の現場でもしばし見受けられます。高血圧という事象を持って、血圧を下げる薬を出しまくるというケースです。高血圧はただの指標であって、それを引き起こしている原因を放置して薬で数字だけを合わせていることもあります。医者といえども、現代の医学では病気の一部のことしか分からず、健康自体は学問外のことなのです。

閑話休題。

要は「規則正しい」とかなんとかはどうでもよくて生活が回っていれば良いのです。

生活が回っていないから、言いやすい「規則正しい生活」というワードをチョイスしているのであって、「規則正しい生活」という言葉自体は解決策を示していないということに気が付かなくてはいけません。

結局、「規則正しい生活をしなさい」と言われてやることといえば、このブログの理論を使ってその言葉を論破することではなく、「そうだね。心配してくれてありがとう。」とその気持ちに対して感謝の言葉を述べ、生活を軌道にのせる方法自体は試行錯誤するしかないということです。

鬱や適応障害になった人はおそらく、気持ちの切り替えが苦手だったり、責任のとり方の配分を分不相応に多く持ってしまっている人が多いのだと思います。

「それはそれ、これはこれ」という切り分けができるようになることで、より奥深く慈悲深い人格が形成されると思いますので、自分の特性をなかったことにするのではなく、切り分けのテクニックを学んでいただきたいと思っています。

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