久しぶりにこのブログを開いて、当時のことを思い返している。
個人的にはうつからはすっかり縁遠くなっているが、今現在の世界情勢的には先行きの見えない不安でいっぱいであり、うつになりやすい状況ではあるといえる。
ここは経験者として、いまだから言える有用な知見というものもあるだろうということで、こうして再び記事を書いている次第である。
やはり、精神的な足腰がしっかりしていないと、うつに引き戻されてしまうことがあるので、慎重にならざるを得ないところはある。
どんな気持ちだったのか?
うつであったときは、とにかく不安でいっぱいで、本当によく分からないけれど不安であった。理由がない漠然とした不安と形容されるが、そうとしか言いようがない。
心がざわざわざわざわしていて、怒られるわけはないのに、怒られそうな、そういう感じだ。
あとは理詰めで考えることができない・・・というか、理屈は理屈であって、自分の感情と別のものであり、大丈夫というふうにはどうしても思えないところがあった。
それから、やたらと自分を責めていた。周りのせいにしたりもするのだけど、やっぱりそういう自分が許せなくて、ひたすら自分を責めるというループに陥っていた。
どういう状況だったのか?
単純にいえば自分を客観的に評価できなかったということだ。
他の人から自分がどう見えるのかを偏った目でしか見ることができず、たいしたことではないことも、「迷惑をかけているのではないか?」「怒っているのではないか?」と不安になっていた。
それから、過去と現在と未来の自分の人生がつながっていかない感じがしていた。
過去は過去であって、断絶した現在があって、その延長線上には未来が見えなかった。
過去に原因があって、それが現在に展開されていて、現在を元手に未来が展開されていくという言葉は分かるのだけれど、実感としては全くわかなかった。
あとは、自分の不足しているところにばかり注目をしてしまっていた。
それは能力であったり環境であったりいろいろではあるが、最後に行きつくのは「だから私はダメなんだ」だった。
よくパソコンのメモリに例えられたりもするが、別の言い方をすると、物を考える作業台の上に、不安がいっぱい転がっていて、何かを比較衡量したりするスペースがなくなってしまっている状態といえる。
「よくあること」「気持ちの問題」なのか?
たしかに頻度としては「よくあること」であるし、「気持ちの問題」という部分もある。
ただ、そんなことを口にするような人が症状を理解していたら、そういう言い方にはならないだろう。つまり「簡単なこと」ではないのである。
たとえば、大腸がんは死因としては女性では1位であるから、「よくあること」である。よくあることだからといって、大したことがないわけではない。
「気持ちの問題」というけれど、では嫌いな人を簡単に好きになれるだろうか?
困っている人に対して「気持ちの問題」という人は、往々にして馬鹿にしているものである。
そういうときは「そういうものかもしれないね」と返してあげれば、肯定された気になってその場は収まるだろう。
相手がしかけた釣り針だと思って(いじわるというより虚栄心だったりするから厄介)、乗っていかないことが自分を守ることになる。
どうすればいいのか?
まずはSOSをあげて、休職してしまうことである。
休職直後はいろいろやることがあって、余計にうつがひどくなることもある。休職というゴールテープがあるわけではなく、休職という事務手続きが待っていることを覚えておこう。第三者機関のサポートを受けることになるので、かなり面倒くさいものなのだ。
休職するには、有給休暇を使い切らなくてはいけないので、まだ残っている場合は、その間にある程度、充電しておこう。
なにをするのか・・・。それはなにもしないのである。
とくにSNSは見ないほうがよい。脊髄反射で書かれたものばかりがどんどんメンタルを削っていく。
地上波のテレビも録画したものを見るならいいが、無目的にだらだら見ないほうがいいだろう。悪いことしかニュースにならない。悪いニュースを繰り返し見ていても、ろくなものではない。
それなら、オンデマンドの映画をみたり、漫画を買い込んでゴロゴロしながら読んでいたほうが良い。一人でやる据え置きゲームでもいいだろう(ソシャゲはちょっとお勧めしがたいが・・・)。
あとは、本当に最低限のことだけをして、心のざわざわをおさえることだ。
有休休暇がすでになくとも、最低3日間はスマホを持たずにぼーっと過ごしたほうが良い。なるべくなら陽に当たったほうが良いことは良いが、優先すべきはぼーっとすることだ。
人によってどういうのがいいのかは違ってくると思うが、今まで出ていた不安の警報が鳴りやむまで、心がざわつかなくなるまで、深海にずーっと潜っていくように、心が穏やかになることをすることだ。無気力になることではなく、穏やかになることをしよう。