自信がないのが諸悪の根源

自分に自信がないと自己や他者を否定し始める。それは嘆きや怯えだったり、怒りだったりするだろう。こう考えていくと「自信があるということが幸せということなのではないか」と思えてくる。その「自信」とは一体何なのだろうか?

怒りは火事場のクソ力

すっかり疲れきってうつになってしまっていたら、「怒り」なんていう強い感情は生まれない。

「いや、それは違う!生まれる!」と主張するのであればまだ疲れきっていないのだろう。「主張する」なんて元気ではないか。外に向かって感情を向けるのは「元気」なのである。

ただ「怒る」というのは火事場のクソ力なので、そのくらいにして欲しい。怒ったあとはきっとヘトヘトになる。

怒りは不安や恐怖の産物

怒りというのは、なんの感情なしにいきなり生まれるものではない。
身の危険、あるいは身内や愛すべきものの危機、損失、破損・・・そういった「緊急事態」の感情だ。裏返せば、怒りは大切なものを失う不安であり、もっと差し迫ると恐怖ということになる。

だから、怒りは正当な場合もある。例えば、家族が暴漢に襲われているときに怒り、実力行使にでるのは当然だろう。怒ること自体は悪いことではないのだ。

不安や恐怖は自信がないから生まれる

いま、展開されている状況が、「自分の頑張りではなんとかできないのではないか?」と思うことによって不安がうまれ、「これはもう自分の範疇を超えているがどうしようもない!」と思うことで恐怖がうまれる。

もちろん、崖っぷちに立ったからといって必ず恐怖が生まれるということではない。
ただ、不安や恐怖が生まれるときはその過程をたどる。

その不安や恐怖の原因を内に求めると自己嫌悪になり、外に求めると怒りになる。自分に怒るというのは自己嫌悪にほかならないと思うのだ。

自信は自己の肯定

自信というのは自分の存在を認めるということだ。
もっというと、自分の過去も認めるということだ。

自分を認めるのに、自分が完璧である必要はない。
「自分はいま正しい選択をしている」と思えることが自信につながる

正しさと優秀の違い

正しいにも色々あるので、仮に正しいとは自分や他人に対しての思いやりだとすれば、優秀とは他人と比べて優れているということである。
いずれも他人との関係ではあるが、ちょっと乱暴なことを言わせてもらうと、前者の「正しい」とはWin-Winを目指すもので、後者の「優秀」とはWin-Loseを目指すものである。

だから、正しい行動というのはより多くの人が幸せになる行動ということもできるのかもしれない。
そう考えると正しさにもレベルがあるのだろう。

この流れでタイトルを開いていくと、「自信がないのは正しくないから」ということであり、「正しくないというのは悪いことだ」という当たり前の結論となる。

自分を大切にすることは正しさの要素である。あなたが幸せになることは、正しさにつながることなのだ。

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