母が亡くなりました

緊急搬送からステージ4の2年の闘病生活を経て、春分の日に母が永眠しました。享年71。大腸がんでした。

最期は私の病院到着を待ってからの、医師の「ご臨終です」でした。

発熱していていつも私よりも熱かった手が、そのときはもう冷たくなっていました。

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親孝行をさせてもらった

最期の日(正確には前日)は病院の個室で朝から母につきそっていました。

前日に父が病室に泊まったので、一旦家に帰る父との入れ替わりで看病していました。

本を読むと落ち着くということで、父から指示された本を5時間ほど読み上げていました。

お話というよりも、詩です。正確に言うとお祈りの本です。

母に聞かせているというよりも、自分の心を落ち着かせるために読み上げている感じでした。

途中、氷枕をかえたり、氷を口に含ませたり、寝返りの手伝いをしたりと忙しくしていました。

こんなに母につきっきりでいたのは、物心ついて初めてのことです。

その数時間後、一日を終えようというときに、亡くなりました。

「神様のご配慮」ということで感謝しております。

万事つつがなく

母はそもそも死ぬ気がなかったのですが、亡くなる3日前あたりに父と相談して「念の為」と用意していたものが役に立つことになりました(そう、父から聞いています)。持ち株もすべて生前に指値で売れて、口座が凍結される前に無事に葬式代として使うこともできたそうです。

私の自宅は実家から1時間くらいのところにあるので、病院で亡くなった直後から、父のそばについて色々と手伝ってきました。こういう忙しさも、哀しみを紛らわせる大切な行事であるので、父を手伝いすぎないようにもしました。

香典の会計係は私がやりました。そのため、通夜式の殆どは受付にいました。

いわゆる告別式(家の宗旨では別の呼び名があります)では受付が済んだあと、弔辞をやりました。

弔辞を述べることで、しっかりと母の死というものに向き合うことができました。

その後、給与の未払い分を国が立て替えてくれるということになり、先日、無事に振り込まれました。給与自体がなかったために、天引きされずに未納だった税金についても、これによってすべて納めることができました。(分納にしていたので、それに伴う遅延損害金の支払いが少し残っています。)

5月の半ばにいわゆる納骨法要(家の宗旨では・・・)を済ませれば、これで一通りの決着がついたこととなります。

哀しみに立ち向かうためには運動しかない

諸説あるところですが、人が人として生きていくには、しっかりと体を動かして食料をえるというのが、いにしえからの法則です。

しっかりと体を動かすことなくして、生きる気力は生まれてこないものと私は信じています。

しかし、やりすぎはいけません。昔の人は言いました。「過ぎたるは及ばざるが如し」と。

毎日続けられる負荷レベルで毎日運動すること。これこそが哀しみにたいする、健全な処方箋であると私は信じています。

この負荷レベルというのは、筋力だけのことではありません。精神的なものも当然含みます。気持ちは体にでますから、「やだなぁ」と思ったら負荷が高すぎるのです。許容できるのは「ちょっと面倒くさいけれど行くかー」までです。

そして、そんな自分にだした処方箋は「昼休みに5km走る」です。

「ジョグは距離ではなく時間で」というのがセオリーではありますが、それは距離が決まっていると速く走ろうとしてオーバーワークになるからです。私のようにマインドフルネスの一環として黙々と丁寧にフォームを意識して走るようなタイプだと、どちらで決めても大差ないのです。

なぜ距離で決めたのかというと、単にアプリがトレッドミルでは0.1km単位しか計測できず、もやっとするというのが主な要因です。

心拍数基準にすると運動負荷の調整がしやすいので、心拍数120回/分を30分程度がいいのではないでしょうか。(これを基準に考えると、だいたいの人にはウォーキングでは心拍数が足りなくて、「あまり」どころか「ほとんど」意味が無いと私は信じています。それなら営業で外回りしてきたほうがいいです。)

どこへ向かう?

シリアスアスリートになります。

実は100m自由形で1分を切ろうと思ったら、もうそろそろ年齢的な限界がきているのです。ここ2~3年で達成できなければ、生涯達成することは無理だと思われます。

なぜなら、それ以降になってくると年齢別の日本記録のレベルになってくるからです。

この100m自由形で1分を切るというのは、母のことやお金のこともあって、しっかりと打ち込むことができないでいましたが、いまやほぼすべての障害が取り除かれたといってよい状態です。見方を変えれば、言い訳ができない状況といえるでしょうか。

結婚とか、もう無理と諦めて、しっかりと地に足をつけて、そしてこうした自分のささやかな夢を実現すべく努力することが大切なのだと思っています。

そうすれば、一周回って、結婚のワンチャンもあるかもしれません。

でも、それは結果であって、私には「結婚という結果を求めて頑張るフェーズ」は過ぎてしまったと思っています。

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