私がやらかした施策の数々とその後の対処法を見てほしい。
朝早い電車にのる
イライラする通勤電車の対策の筆頭は、「朝早い電車にのること」ではないだろうか。
しかし、朝早く会社にきて何をするのだろうか?
仕事をこんな時間から始めたら始業の頃にはなんだか疲れていないだろうか?
結局、朝にサービス残業をしているだけになっていないだろうか?
そもそも、朝早いからといってすごく空いているというわけでもない。電車の本数が少ないから人はそれなりに乗っている。また、ラッシュ時には見ることのない様子のおかしい人の率が高く、コストをかけた割にはイライラする率が高い。
マスクにアロマオイル
私は花粉症ではないのでマスクは常用しないのだが、使い捨てではないコットンのマスク(使い捨てと同じ形状で一見見分けがつかないものが売っている)にアロマオイルを垂らして通勤していたことがあった。
香りでイライラを紛らわせようという作戦だ。
悪くはない施策だが、マスクの洗濯が必要だし、花粉症ではないのでマスクに慣れておらず、マスクをつけるという行為自体が息苦しく感じられた。
そして、「なぜこんなコストを私が払わねばならないのか」という怒りがこみ上げてくるのを感じた。
他にもまだまだ
例えば、視界を最低限にすれば余計なものが見えなくなると考えて、目が悪くもないのにメガネをかけていたこともあった。また、癒やしの環境音楽をヘッドホンで聞いていたこともあった。
メガネをかけてマスクをしてヘッドホンして・・・と、ここまでしているとなんだか自分の頭がおかしいんじゃないかという気持ちになってくるし、そもそも根本的な解決になっていないから、これをこのままずっと続けていくのかと思うと憂鬱になった。
それに、通勤電車という戦場に突っ込んでいくのに、目も耳も鼻も鈍らせるというのは、何だか自殺行為とも思える。まずい状況を察することができずに、トラブルに巻き込まれるということも普通にある。目の前でいわゆる「お客様同士のトラブル」というのは年に数回出くわす。
なぜ電車でイライラするのか?
そもそも、電車でイライラしなければいいのである。もちろん、足を踏まれたり、肩の上にスマホをのせられたりすれば、多少イライラもするだろう。
でも、自分とは直接関係のないマナー違反みたいなことでもイライラすることがある。
例えば、優先席に座ってスマホゲームを夢中になってやる若者。例えば、席にカバンを投げ出して足を組んで新聞を読んでいるおじさん。空いている車内なら、何ら問題はないのにイライラする。
まず、この「マナー違反でイライラ」をなんとかできないかと考えた。
これは私だけに当てはまることかもしれないが、私にとっては長年の謎が氷解した気付きだったのでお話しておきたい。
私にとってマナーとは、その場にいる人を尊重するものであり、大勢の人がいるときの配慮だと思っている。私という他人がいる公共の場でマナー違反をされると私をないがしろにされた気になるのだ。だから、「私はここにいる」「ここは公共の場だ」と自分の存在を不快感で表そうとしてしまう。
これが私がマナー違反でイライラしてしまうメカニズムだ。
イライラの対処の仕方
ただ、どうだろう。その若者やそのおじさんに、私を尊重してもらいたいだろうか?
そんな人たちは私には何の関係もない人たちであって、どうでもよい人たちなのではないだろうか?
今このときに迷惑をかけているわけではなく、また、私自身彼らにマナーを守るよう諭すつもりもないのであれば、気持ちの照準を外してみてはどうだろうか?
考えるだけ無駄なのである。
また、実際にちょっとした被害を受けるマナー違反があったとしても、イライラし続けるのは妥当ではない。
頭の中で「あと3回ぶつかってきたら文句を言ってやろう」なんていう閻魔帳をつけても、文句をいう権利が自動的に得られるわけではない。閻魔帳を取り出して回数をつけてイライラしてる姿は、攻撃するための材料を執拗に探し、妄想に取り憑かれている感じがする。はたから見れば決してスマートではない。
不快に思うのであってそれが客観的にも認められることであると考えられるならば、攻撃をするのではなく、不快に思っている事実を伝えれば良いのだ。
濡れた傘に注意を払わずに雨雫をあなたのズボンに落とす人がいたならば、「ズボンが濡れるので傘をどけてもらえますか?」と普通に言えばいいのだ。先方に悪意がなければ「あ。気が付きませんでした。すみません。」と言わないまでもそういう気持ちになって善処してくれることだろう。
マインドフルネスの出番
イライラしているときに閻魔帳を取り出して妄想を繰り広げるのは、よくあることだと思う。この「妄想している」という心の動きに気がつくのがマインドフルネスだ。
マナー違反している人の襟首を捕まえてホームに降ろして説教をはじめたところで、何も得られないどころか失うばかりだ。そんな妄想を膨らませるくらいなら、相手が話せば分かるかどうかを観察し、致し方を決めるほうが現実的だ。(よくみたらその相手はカタギではないかもしれない。その場合、不快感な素振りを見せることは彼らの術中にはまったことになる。)
あまりにひどいようなら車両を変えたり、途中下車をしたりもする。
自分でコントロールして対処しているので「負けた」などという気持ちにはならない。むしろ適切な対処をしたという満足感すら感じる。
イライラをして妄想を広げるのではなく、状況を見てどうすべきかを判断するという対処は決してやり過ぎではない。多くの人間がお互いにボディゾーンを侵食しあっている人類史上つい最近の異常な状況なのだ。
これが電車でのイライラに真摯に向き合った私の対処法である。
通勤電車で出社に苦労している方の参考になれば嬉しい。