「休職中に決めておきたい」とは題したが、これは固まらなければ復職してもつらいと思える項目である。ここが固まっていないうちは理由(もちろん診断書は医師にかいてもらう)をつけて休職期間を延期したほうがいいと思う。
自分へのOK
豊かで幸せになるための出発点のようなフレーズではあるが、その感覚で合っている。マイナスの自分を0にするのではなくて、より高みに行くために加点していくイメージだ。
休職当初、それはとても難しいことのように思えるかもしれないが、まずは自分の存在を肯定しないことにはリハビリの準備が整ったとは到底いえないのである。
こういうとき、生真面目な人は「天命」とか「天職」とかそういう自分探しみたいなことを考えてしまうのかもしれないが、それは違う。これは、明確に違う。
「生きているだけで丸儲け」という方向性でイメージして欲しい。
身の回りのことだけにしかフォーカスを当てられていなくて、例えば世界の貧困なんてことはテレビで流れてくる映像であって映画と変わらないもののような感覚だったけれど・・・からの「人と比較するというのはずるいとは思うけれども恵まれていることは確か」というあたりを足がかりにして欲しい。
キーワードは「恵まれている→幸せになることを期待されている」だ。
治す覚悟
うつは治すとはいわないらしいが、それはこの際どうでもいいことだ。
ただ、少なくとも寛解のイメージではなく、リバウンドなんて考えられない状態を指しているので、「治す」といって差し支え無いと思う。
うつ病にかかると10年くらいはつらい状況と向き合わなくてはいけない。寛解してくれば高みを目指しているような気分にもなろうが、休職直後から(すなわち社会でやっていけないと医師の診断が下ったときから)2年くらいは苦しい状態が続く。光明が見えないのだ。
比較的長い道のりであることを覚悟して、目先の失敗や状況の悪化でもめげること無く、それでも生きていくのだという覚悟をしてほしい。
私も休職中は「絶対治す!これで終わるとか無い!」と何度も独り言をいって気持ちを支えた。自殺も回避した。
会社との折り合い
会社との折衝作業をしろと言っているわけではない。自分と会社の距離感の確認をしておくということだ。
会社は人の人生なんて担保しない。もちろん、親であってもそんなことはできない。
他人や社会との距離感をつかむのが苦手な人が、IT系サラリーマンには多い印象が私の中ではある。(そうであって欲しいという希望もある。)
「ベタベタと依存」か「ドライな関係」の2択に陥りがちだと邪推するが、今20代だとIT企業はベンチャー企業ばかりではない時期なので、IT企業特有だったギークさはないだろう。
閑話休題。
会社は自分にとってどういうもので、これからどういう距離をとるのかをしっかり考えたほうがいいという話をしている。
自分に決着をつけることなく、会社をやめたり、起業とかいいだすのは、控えろという話でもある。
会社をやめること自体は構わないが、そこから起業というのはあまりにも自分が見えていない。そのプロセスは確実にいただけない。
起業をしたいと思うこと自体は悪いことではないので、しっかり試算をしてほしい。
お客さんになり得る人が自分が生活していけるだけの人数集まるかということを考えて欲しい。(私はエクセルで試算をして諦めた。)
さらにいっておくと、客観的には「うつで会社をやめた人」というバッジがその胸に輝くことも忘れてはいけない。
同じ理由により、いきなり「みんなに感謝」といいだすのも無理があると思う。
不調が続いた人間は劇的変化を望むものであり、それはいわゆる人のさがである。
ただ、客観的に見れば「努力という過程をすっとばしてもっとまずいものにはまり込んだ」という評価をされがちなのは忘れてはいけない。しかも、それはだいたい合っていると思う。
人の評価は関係ないと思うのは、自分の信念をしっかり持っているからこそ言えることであって、なかば自暴自棄な人間が振りかざすのはお勧めできないし、自暴自棄かどうかは回りもちゃんと見ている。
人というのは当事者でなければ「害をなす存在かどうか?」ということに関して、わりと正確に判断を下すことができるものなのである。いわゆる、岡目八目というやつである。
すべてクリア?
「休職という制度はありがたい。ゆくゆくは起業するけれど治すまでは今の会社にお世話になる。」でもいいし、「うつの原因がどう考えても会社だから休職期間を限界までのばしてからやめる」でもいい。
つまるところ、現状を自分の意志で打開していこうという覚悟が必要で、それには長い時間がかかるので劣等感だけでは潰れてしまうから、まずは自分の存在は肯定しようということである。
実は、はじめの覚悟さえしっかりできていれば、状況は変わらなくても心境は変わる。
そもそも本能として生存欲求はあるのだから、色々回復してくればそもそも「なんのために生きているのか」なんてことで悩まされないのだ。
つらくなることを覚悟したはずなのに、実際にはそのほうが早く楽になれる。