「気持ち」は簡単になんとかできるのか?
好き嫌いも「気持ち」のうちのひとつだろう。人はその「好き嫌い」を簡単になんとかできるのだろうか?
「怒ると体に悪い」といわれて、怒らないようにできるのだろうか?表に出さないことはできてもいらっとするのをとめることができるのだろうか?
ニヤニヤしながらいうほど簡単なことなのだろうか?
「気持ちの問題」で簡単に片付ける「アイツ」の気持ち
「アイツ」は実は「気持ちをコントロールするのが簡単」とは思っていない。たまたま、その事象に関して最適と思われるマインドセットを持っていただけのことである。(もしかしたら知っているだけでそんなマインドセットは持っていないのかもしれない。)
努力して上手くコントロールをしたわけではないから、上手くコントロールする必要性すら感じていない。つまりコントロールの仕方も知らなければ、コントロールをする大変さも知らない。うまくできているわけではなくて変える必要がなかっただけのことだ。
そして、「アイツ」はうまくコントロールできない人を見てこう思うのだ。
「なぜそこで引っかかるのだろう?考え過ぎなのではないだろうか。ごちゃごちゃ考えすぎだよ。もっとシンプルなものだ。」と。
「アイツ」は何かができているわけではない。なにも知らないだけだ。どんな問題があるかも分かっていない。
人参を抵抗なく食べられる人が、人参を食べられない人に言い聞かせることで食べさせようとしているようなものだ。言われた人が不愉快な気持ちになることはあっても、参考になることは何もない。
確かに「気持ちの問題」
「アイツ」のいうように「気持ちの問題」ではあることは分かっている。しかし「アイツ」はその問題を解いたわけではないから、解法を知っているわけではない。まさに「問題がない」状態なのだ。
じゃあ、参考にもならないことをいわれ、劣等感をうえつけられた「私」はどうしたらいいのだろうか?「アイツ」の気持ちをことこまかく解説して、非を認めさせて、謝罪を要求すればいいのだろうか?それとも苦笑いをしてやり過ごしつつ胃薬を飲むしか無いのだろうか?
「アイツ」が言われたいことを言ってあげる
「アイツ」は「私」を不愉快にしたいわけではなく、自分が有益で有用であることを認めてもらいたいだけではないだろうか?いわゆる承認欲求というやつだ。
だから認めてあげれば満足するだろう。調子に乗ることもあるかもしれないが、まずは受け止めてあげよう。
「確かに気持ちの問題でシンプルなことなのかもしれないね。」
“ご高説ありがとう”などと皮肉のひとつも言いたくなるがここはぐっと我慢だ。
「でも、はじめからできる人には分からないかもしれないけれど、できないことをできるようになるのはすごく大変なんだ。」
これなら、カドがたたないだろう。
もちろん、この言葉は正確ではない。「アイツ」ができることが「私」にはできないというような能力の問題ではない。「アイツ」と「私」の立場が入れ替わったら、「私」も「アイツ」に同じようなことをいうかもしれない。
譲歩したわけではない
「私」は状況から「アイツ」の気持ちを分析して、自分の気持ちをコントロールした。そして「アイツ」の気持ちを誘導し、「私」が望む状況に近づけたのだ。
自分の気持ちをおざなりにせず、相手との関係も良好に保つ。そうやって我慢を減らしていくというのが、うつの克服の道なのだ。