「好きになれば問題解決」と同じこと
うつまっさかりのときに「えー。そんなの気持ちの問題じゃないのー?」と軽く言ってくる人に対しては、大変申し訳無いのだが「近づかないで欲しい」と思っていた。
確かに、気持ちの問題である。
大人数の前でスピーチして緊張してしまうのも、食べ物の好き嫌いも、苦しんでいるときに茶化してくる人にイライラするのも、すべて気持ちの問題である。夫婦の問題もお互いにまた好きになれば解決なのである。
こういうと「それは極端だ」とまるでこちらが詭弁を弄しているかのように苦笑いされるが、夫婦の問題の解決の第一歩はお互いの言い分を理解するという姿勢であり、それはお互いがまた好きになろうとする行動でもある。極端でも詭弁でもない。むしろ王道だ。
「気持ち」は難しい
確かに「気持ちの問題」ではあるのだけど、言っている本人が簡単なことだと思っている場合が多い。もちろん、生まれながらにして瞑想の達人だから簡単だと思っているわけではなく、全く理解していないから、簡単だと勘違いしているだけだ。さらに、そこには相手に対して軽い侮蔑の気持ちも込められている。言っている本人に「気持ち」は関係がない。
そういう人たちは、うつの人がお布団にいることが好きだと勘違いをしている。お布団に潜らざるを得ない状況を、お布団にいると満足感があると思っている。朝出社できないことを昼出社することが好きだと思い込んでる。
そうではない。
すっきりと起きてお布団から颯爽と抜け出し、決められた時間にバッチリ出社することを望んでいるのにもかかわらず、どうしてもそれが出来ないから悩み苦しんでいるのだ。それがうつの人たちの「気持ち」なのだ。
うつになった人はわかると思うが「気持ち」は本当に難しい。不安が消えてなくなるのであれば、お薬は要らない。そして、不安に注目して、不安をなくそうとするほど、不安はどんどん大きくなっていく。
気持ち以外のことに集中する
気持ちは直接コントロールすることが不可能と思えるほど難しい。しかしながら、気持ちをそのまま受け流していくことで、格段に過ごしやすくなる。
気持ちをなくそうとはしないで、湧いてきた気持ちを眺めるようにするのだ。幼い子に「そうだねーこわかったねー」とか「おいしかったねーよかったねー」といって接する気分である。
気持ちが湧いてくる前は何をしているのかというと、もちろん気持ちのことは考えていない。身体の感覚に集中しているのだ。
いま現在の身体の感覚・・・例えば、呼吸している息の通る場所の空気の感覚、おしりで支えている身体の重さ・・・そういう感覚に集中をする。どこからか冷蔵庫の音らしいものが聞こえてきたら、「冷蔵庫」という不確定な注釈はつけずに、「ぶおおんぶおおんという音」として処理する。考えや注釈を挟まずに、身体に感じたそのものを受け止めることに集中するのだ。
これがマインドフルネスである。
不安を消そうとしているわけではなく、いまの自分の身体の情報に集中しているだけだが、それ以外のものが増長することを抑えているので、自ずと不安の影響を受けなくなっていくというわけだ。
不安を起因とする身体の諸症状も、もう不安ではないのだから、薬なしで症状がなくなっていくのは当然のことである。
気持ちの問題として解決
確かに気持ちの問題であり、とても有効なアプローチではあるが、当然のことながら簡単ではない。でも、選ばれた人だけができるというものでもない。
もちろん、無我の境地なんてものにはなれないが、「いま、余計なことを考えたよね。戻って集中。」というレベルには練習すれば誰でも到達する。
そして、一定レベルにならないと効果が得られないわけではなく、「さまよいでる心」を監視するという習慣をつけることで、気持ちのネガティブスパイラルに気がつくことができるようになる。気がついて戻って来ることができるならば、不安に飲み込まれることも少なくなる。
マインドフルネスは、うつが治ってからも大きな力となる習慣だ。うつであれば真剣に取り組むし、真剣に取り組まねば効果も薄い。ぜひ、これを契機にはじめてみることをおすすめする。