うつになった人は頑張るのが遅いし頑張るところが違う

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「うつは頑張ってはいけない」ということはないし、頑張らないと治らないと思うが、そもそも頑張るポイントが違っていることに気がついていない人が多い。

目が覚めて「会社に行きたくない」と思ったら諦める

そこで気合とか根性とかを発動しても意味が無い。もう手遅れなので休みなさい。ここで反省することがあるとすれば、夜寝るまでの行動や調整だろう。

目が覚めたときに「会社に行きたくない」と思ったのなら、もう失敗なのである。結果が出てしまっているのである。そこからなんとかしようとするのは、余計悪化させるので、失敗を認めて楽になろう

苦労なくできている人は悩んでいる人に「考えすぎ」と言う

これは、自分が苦労していないがゆえに、苦労している理由が分からないからこんなことをいってしまうのだ。

これは邪推だが「自分はできている」という優越感も隠れているのではないかとも思う。私がこんな邪推をするのは、悩んでいる人にただ単に「考えすぎ」ということでは、何の解決にもならないからだし、実際にいわれてなんだかやるせない気持ちになったからだ。

もちろん、シンプルに考えるということで、具体的に指し示すのであれば話は違う。ただ「考えすぎ」という言葉だけでは一転語にはならないし、ただ単に突き放しているだけである。

「考えすぎ」といわれたことを考えすぎてはいけない

仕事は楽しいものである

きれいごとをいっているわけではない。
人間関係が色々あれど、仕事が楽しいと思えない時点ではうつは治らないと思って間違いない。

頼られているとか生きがいを感じるとか、そういうディープな話ではない。また、責任感の問題でもない。

ここはIT系のうつのブログなのでその系統の例をだすと、作ったことのない新規の機能を「こうすればできるかなー」というのがピタリとハマって、想定以上のスピードでプログラムを書き終えてチェックに回したときに「すげー!はえー!」と言う同僚の顔を見た時の快感とかそういうことである。

雑にいえば、ガッツポーズしたい瞬間があるかどうかということだ。ゲームみたいなものでも味わえる幸福感ではあるが、これすらない仕事というのは、辞めるか接し方を変えたほうがいい。

「仕事は楽しいものである」という気持ちなくしてサラリーマンを継続していくことは難しいのである。

頑張るのは「やりたいこと探し」ではなく「よかった探し」

うつをきっかけに別のことをはじめる人は多いと感じる。

私だって独立を考えたが、うつに対してケリはつけておきたいと思った。少なくとも会社から「逃げるようにやめたあげく独立した」と思われないことが独立するための最低条件だと思っている。

なにかの臨界点を越えてうつになったのだろうから、それはそれでいいとは思うが「新しい私」を求めるのはちょっと違うと思う。

自分探しをしてヒマラヤ登っちゃう若者と何が違うのかということだ。極端で稚拙で自分と向き合うことから逃げているようにしか見えない。

状況や環境からは逃げていいとは思うが、自分からは逃げられないのだ。いつまでも追いかけてくる。自分は自分なのだから、新しい自分探しなんてことをするのは不毛である。やるべきは、今の自分を知ることである。

今の自分は「何ができて何ができないのか?」「何をしたくて何をしたくないのか?」「どこまではできて、どこからできないのか?」ということを知ることは非常に大切である。とくに、自分の「どこが素晴らしいのか?」を見つめなおす必要はあると思う。

「何をしたいのか」でも「何ができるのか」でもなく、「私のここがすごい」を知るべきだと思う。

最近「うつは結婚ができない人のターニングポイントの代わりなんじゃないかな」と思うようになった。

家庭を持つことで、視点が変わる。子どもができれば、その子どもの歳の当時の自分はどうだったかと、思いを巡らす。そうして、社会的に本当の大人になっていくのだろう。視点の気づきを得られる機会を得ぬままに歳を重ねるとうつが発動するのではないかなと邪推もしたくはなる。

もっとも、私の場合は20代で零細ブラック企業に半ば意図的に追い込まれたので、自分を擁護するのであれば、結婚を軽視した社会というのも、うつが社会問題になるまで蔓延した理由ではないかと思ってしまう。でも、社会のせいにして満足できるほど、私たちは愚かではない、でしょ?

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