うつ病でブログを書いていいものか?

いいか悪いかでいえば、その人の責任で書くものなのだから、もちろん、ブログを書いて構わない。

ここで言いたいのはリスクの話であるし、可能性の話でもある。

1つ間違えないで欲しいのは、私はブログは書いていいと思うし、書きたいのなら書くべきだ思っている。そのときに、ちょっと気をつければいいだけのことだ。

これはブログを書くときに参考になればいいと思って書いているだけであり、実践しなくても非難されるようなことではない。

特定されないようにしておこう

少なくともうつがひどいうちは匿名にしておくことだ。

いままで使っているハンドルネームがあるのなら、うつのことを書くブログは別のハンドルネームにしておこう。リアルと同じニックネームを使うのもやめておこう。

これは義務とか、やっておくべきこととはちょっと違う。

ただ、こういう「身バレ」が原因で、うつ克服の妨げになることがあるということだ(ん?経験者かい?)。

世の中、誰もが温かくサポートしてくれるわけではない。嫌がらせをして人が苦しんでいるのを見て、気分が良くなるような人も一定数いることを忘れてはいけない。同僚が心配をして上司に報告をすることもある。

同様の理由により、住居が分かるような話や写真を載せるのは控えておいたほうが無難だ。

といいつつ、私はあまり気にしないので、説得力に欠けることは認める。

コメント欄を封鎖しておこう

気軽にコメントをかけないようにしておいたほうがいい。

少なくとも、脊髄反射で書いたとしても、なんらかの認証が入るような仕組みにしておいたほうがいいだろう。つまり、ちょっとだけ面倒くさくしておくということだ。

「頑張って」とかちょっとした質問なども入ってくるかもしれないが、なんといってもうつ病なのだから、そこにきめ細やかに対応できるわけがない。

「コメントの返信もしていないのに新しいエントリーなんて書いたら怒られるかも」などという余計な心配をしかねない。

とにかく、独り言をぶつぶつと書き綴るイメージで書いたほうがよい。そこはあなたのブログであり、独り言に絡んできても答える義務はない。

無理に閲覧数を増やそうとしない

こういってはなんだが、もしメインコンテンツが「うつうつとした気持ちを書きなぐる日記」であるならば、誰かを憂鬱にすることがあっても、誰かを楽しませることはない。

もちろん、役に立たないということはないだろう。

抗うつ剤の副作用の話だったり、お酒を飲んで余計つらくなったりした話は、意外と有益なものである。

だからせめて「うつうつとした気持ちを書きなぐる日記」を見たい人だけが検索で見つけてくるような運営をしたほうがいいだろう。

運営をするといっても簡単で、何もしないのである。つまり、SNSで告知をしたりしないということだ。

もっとも、ブログランキング系であれば「うつうつとした気持ちを書きなぐる日記」の類いのカテゴリに属していれば、それを承知で見に来るだろうから、そのバナーを貼ってランキングに参加するのは問題ないだろう。

うつをアイデンティティにしない

うつであることを受け入れるのはいいが、うつであることを売りにしては、寛解が遠くなってしまう。

うつが寛解しても続けられるような感じにするか、うつが治ってきたら別のブログを作り直すのでも構わないが、うつを自分の所有物にしていては、いつまでたっても「うつのあなた」であることから抜け出せない。

と、ここまでいっておいてなんだが、うつを売りにしてガンガン書いてみるのもいいかもしれない。

そうしているうちに「あ。このままじゃ、うつを克服できない。」と思うことがあるかもしれない。

逆に、そう思わないうちは「うつのあなた」であることから抜け出せないことは忘れずに。(自分が動くことで感情にゆらぎが出ることは、当人が思っているほど悪いことではない。むしろそういった主体性は必要なことであると思っている。)

書くことをためらわない

なんだかんだといってきたが、とにかく書いていれば、自分を客観的に見ることになるので、手を止めなければいい。

オンラインに晒すにはあまりにひどいと思ったら、自分のデスクトップのメモ帳として書いてもいいし、アナログの日記でもいい。愚痴をひたすら書きなぐりたいのなら、外に出さない形でも書いたほうがいい。

とにかく、人にガタガタいわれないような形で書いて、たまに見直すということが大事。

何も印を残していないと、自分がどれだけ進歩したのか分からない。これは本当に驚くほど分からないものだ。

自分の気持ちを文章化することは、非常に意味のあることで、考えの整理になり、自分を客観的に見ることができる。

「死にたい」とか「あばばっばああああ」みたいなことは、オンラインに上げるには意味のない文章かもしれないが、それは見た人の主観であって、一方で書いている人の主観もある。

人の目にさらされるという刺激も著者にはよいものなので(適度ならば)、「ちょっと端っこでやろうぜ」ということだ。

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